●点字ブロックの歴史

【点字ブロックについて】

■点字ブロックは、視覚障害者の歩行の安全と利便を図ることを目的に 駅や歩道に敷設された突起のあるブロックのことです。

■点字ブロックには、点ブロックと線ブロックの2種類があります。

・点ブロック(警告ブロック、点状ブロックとも言う。)
 これは、注意を促すためのものです。転落や衝突を防ぐよう、階段や交差点の手前、駅のホームの端、バス停などに敷設されています。
・線ブロック(誘導ブロック、線状ブロック、棒状ブロックとも言う。)
 これは、方向を示すためのものです。線の向きに進めることを表しています。歩道や通路に沿って敷設されたり、駅の改札・建物の入口への誘導などに用いられています。

■視覚障害者は、白杖で触れたり、足で踏むことによって、点字ブロックの存在や種類の違いを感知しています。

■黄色いブロックが多いのは、弱視の人が見分けやすいため、そして晴眼者に点字ブロックであることを知らせるためです。

 ◎点字ブロックは視覚障害者の外出にとって重要な情報源です。
  みなさんも次のことに注意をしてください!

 ☆ブロックの上に自転車や車を止めたり、物を置いたりしない。
 ☆ブロックの上で立ち話などをしない。

※特に自転車は、歩行の妨げになるだけでなく、白杖がからまったり、車体が倒れかかってきたりして非常に危険です。

【点字ブロックの歴史】

 日本人、三宅精一さんによって考案され、1967年岡山市内に初めて登場しました。

 考案されたのは、岡山の三宅精一氏(1926〜1982)です。彼の友人の岩橋英行氏(1925〜1984、日本ライトハウス2代目理事長)が、1963年頃から視力が低下して歩行にも支障をきたすようになったのを知って、なんとかしたい、と思われたのがきっかけです。いろいろと考えているうち、岩橋英行が「突起物ならわかる」と言ったことにヒントを得ました。そして、三宅精一と弟の三郎の兄弟は、ついに1965年に完成し、「点字ブロック」と名付けました。同年に安全交通試験研究センターを設立されています。(三宅三郎氏は、精一氏のあとを引き継いで、現同センター理事長。)この点字ブロックは、1967年3月18日、岡山県立盲学校近くの国道2号線の横断部分を示す歩道側に、精一が寄贈した 230枚が世界で初めて、敷設されました。同年、京都や、大阪、そして翌年には東京にも敷設されました。駅のプラットホームの敷設は、1970年3月、JR阪和線我孫子駅が最初です。

 1972年10月、高田馬場周辺に1万枚が敷設されました。公的資金による本格的な敷設の始まりでした。

 1973年2月、上野孝司さん(42)が、JR高田馬場駅プラットホームから転落死し、有名な上野訴訟が始まりました。

 1973年以降、建設省・運輸省が設置マニュアルを作成して運用が急速に進みました。

 1975年3月、新幹線ホームに点字ブロックが西日本の10駅に登場し、新幹線全駅に拡がっていきました。

 なお、1972年までは、三宅精一が、多くもない私財をなげうって拡げて行ったもので、資金の枯渇から、精一はなんども挫折の危機に瀕しています。それを支えたのは、岩橋英行の強い信念でした。

 1964年は、世界盲人福祉協議会(WCWB、後にWBUに統一)による、いわゆる障害者の人間宣言の考え方が提唱された年です。WCWB副会長に就任していた岩橋英行は、「それぞれの能力に応じた訓練と社会の協力があれば視覚障害者にも無限の可能性がある」と考えました。そして1966年、日本で初めての視覚障害者へのリハビリテーションを日本ライトハウスで開始し、本格的な歩行訓練技術を導入しました。

 岩橋は、歩行訓練の進展と平行して点字ブロックの敷設が普及すれば、本格的な歩行訓練を受けていない大多数の視覚障害者にも、単独歩行の可能性を拡げ、社会参加につながる、と考えました。

 1970年に日本で最初の公式の歩行訓練士講習会が開始されました。この歩行訓練事業を大きく推進させた岩橋英行でしたが、歩行訓練士の点字ブロック不要論に対しては、「毎年20数名しか訓練生がいないのに点字ブロックは不要であるという論は、いささか納得しかねる。歩行訓練を受けた者でも単独歩行は神経をすり減らしてぐったりする。点字ブロックを杖が探知するや、ほっとした気持ちになる。」と戒めています。

 なお、国際的には、1967年4月に岩橋は早くも、WCWB委員会及び各国訪問の際に持参して各国で紹介し、大きな反響を呼びました。このとき、点の配列に関する各国の関係者の意見は、足に対する感覚が常に平均している点の平行配列がよく、千鳥配列では不安になることが、各国の実際の試験歩行の中で確認されたことも、紹介されています。(このことは、2001年9月20日にJISになった点字ブロックのパターンの決定に関する各委員会で当事者からも強く主張し、平行配列が採用されました。)

 色彩については、1967年秋から、弱視者に明確に分かる鮮やかな黄色を岩橋英行が提案して実行されています。

 誘導用線ブロックは、1975年に開発され、敷設が始まりました。

 横断歩道に関しては、1967年11月に、三宅精一は点字道路鋲を考案し、 500個を寄贈して京都府立盲学校と京都ライトハウス付近の大きい交差点である千本北大路の横断部分の両側に、早くも設置され、現在に至っています。