●最終回 今日から明日へ…

 設立総会を間近に控えたある日。中村、二宮、宮本を含む支部設立のために動いていたメンバーが集まっていた。その中に茅ヶ崎での設立準備会の際、言いたい放題発言して逃げるようにいなくなった内田の姿もあった。話の中心は作成した支部会則や総会当日の流れ等の具体的な内容となっていた。

 ライトホームを退所して、ようやく参加するようになっていた内田だったが、茅ヶ崎の時のように発言する事はなかった。それもそのはず、茅ヶ崎以降、何も参加していなかった事もあるが総会というものがどんなものか知らない。 1号議案、2号議案とかいう言葉さえ初耳、何を話し合っているかも理解できずにその場にいたのである。感情的になって発言したことを悔やみながら、メンバーの話に耳を傾けていた。

 そんな中、内田が思わず身を乗り出して聞き入った内容があった。それは、支部役員として会報編集を担当することになる須貝の教え子たちがボランティアとして総会当日の運営を手伝ってくれるというのだ。予備校の講師をしている須貝の教え子となれば、女の子もいるだろうと思う。そして、立て続けに看護学校の学生も来ると言う。話を聞きながら、(今日は来てよかった)と思う内田だった。何を考えているのかこの男。えらそうなことを言っていても他のメンバーのように使命感を持って参加していない事はハッキリした。

 この二つの若者たちのグループの中から神奈川の歩みを語るとき、決してはずすことのできない出会いが待っていたのである。一人は自らがRPであるにもかかわらず看護学校に通っている女の子。友人たちからの人望も厚く、その子の声かけで仲間たちが集まったのだ。 この女の子こそ、10周年記念イベント「ペリカン寄席」の企画者である「ペリカンオヤジ」こと市川さんの娘、えりちゃんだったのである。

 もう一人は予備校生の竹川と言う女の子。みんなから、たけちゃんの愛称で呼ばれ、神奈川支部の活動にはなくてはならない存在となっていく女の子なのである。

 内田にとっては支部設立から数年後、えりちゃんとたけちゃん。そして、そのころ会員となった宮村と言う男の子とともにチャリティーコンサートを開催することになる。企画したのは内田だが、準備を始めれば3人の若者のペース。それも仕方がない。内田はその時の思いつきで発言する。こいつに任せていたら…と思われるのは当たり前なのである。不純な期待を胸に活動に参加している内田にとって、若者たちからのキツーイ洗礼を受ける日々となった。

 とにもかくにも3人の若者のアイデアと行動力。それにチョットだけがんばった内田の手によって、コンサートは大盛り上がり大成功。

 ところで、がんばっていたのは若者たちだけではない。「中高年の星」支部役員たちも負けてはいない。コンサート開催より前に視覚障害者のための福祉機器展を開催して、神奈川県内のみならず、近県からの見学者を集め大成功を収めていたのである。

 さて、支部活動はもちろん、何を企画して行うにも資金がなければできない。役員たちにとって、設立総会以前からの大きな問題だった。支部会報の作成を初めとして、やりたい事は次から次へと浮かんでくる。しかし資金が足りないと言うより、ないと言ってもいい状況だった。この時期をどうやって乗り切って行ったのか。その方法とは笑ってつき合うしかないやり方だった。

 役員会の際、休憩となり、のどが乾いた。何か飲もうとなれば、だれかが代表して自動販売機へ。缶ジュース系の値段は120円。200円出したら、50円は戻ってくるが30円は戻ってこない。150円出したらオツリはナシ。 おつかれさまの居酒屋へ行けば、「一人、2300円ね」の声でお金を集めると、3000円で戻ってくるのは500円。2500円出せばオツリがナシ。「オツリは」などと言おうものなら残りのメンバーに声をそろえて、「支部に寄付デース」と言われる。かと言ってキッチリ出したからとだれも文句は言わない。それよりも、わかっていながら「オツリは」と言って、ツッコまれて、そこから始まる冗談を交えた会話を楽しんでいた。

 そんな役員たちの思いは活動に参加する会員たちにも伝わっていく。毎月開催される交流会(ミニ集会)の際、会場使用料を捻出するために参加者たちから会場費として、50〜100円を集めていた。参加者が多ければ集まったお金は使用料を上回る。会計を済ませて戻ってくる役員の周りに他のメンバーが集まる。「どうだった」の問いに、「150円プラス」。全員ホットしたように胸をなで下ろす。「今月は500円」となれば、「オー、すげぇ」と手を叩いて喜び合う。ある時は会計を済ませた役員が興奮しながらメンバーの元へ。「今月は800円」の言葉に、「後チョットで1000円かよ。スゲェ」と声が上がる。バンザイ三唱をやりそうな勢いで大喜びする役員たちだった。

 そんな役員の姿を見かけ、不思議がる会員たち。そりゃ楽しそうにしているんだから気になるし知りたいと思う。「どうしたのか」と尋ねられ、正直に話す。聞いた方は愕く。なにせ百円単位のプラスに手を叩いて喜んでいるんだから苦笑いするしかない。活動資金のないに等しいたいへんな状況下にあって、まるでそれを楽しんでいるかのように見える。

 それを見て協力したいと思う。もっと言えばその輪の中に入って、喜びを分かち合いたいと思う人もいたのだろう。会場費を集める際、500円玉を出して「オツリは寄付」といってくれる会員が増えていったのです。こうなると毎回のおつかれさまの飲み会は盛り上がる。「本日のプラス○○円にカンパーイ」で始まるのだ。当初はミニ集会後の飲み会は役員だけだったが楽しく過ごすのに役員とかそうではないとかは関係ない。みんなで一緒にと参加者たちを誘って居酒屋へとなっていった。

 役員や会員のどこか楽しみながらの小さな積み重ねが、活動のための資金を作っていた。そして、特定疾患と認可されたことで、県内の保健所でRP患者のための医療講演会や相談会が行われるようになり、依頼があればJRPSからの情報を提供、出席者の相談にも乗ることもあったのである。その活動が県内の眼科医との出会いを生み。ともに協力し合う関係を作り、支部活動の幅を広げていったのである。

 福祉機器展は1回で終わらせることなく、続けられている。障害者自身が開催する機器展として高く評価され、県内の医療関係団体から多額の寄付を提供してもらえるようにもなったのです。

 神奈川支部の10年は出会いによって始まり、出会いによってその活動が広がっていったと言えるだろう。良き理解者との出会い。力強い協力者との出会い。そして、それぞれの不安や悩みに耳を傾け、同じ思いを語り合う仲間との出会い。価値観や見解の相違から袂を分けて、それぞれの道を歩むことになった仲間もいる。それぞれの方法は違っていても求めている望みは同じ。その望みがかなえられた時、お互いの労をねぎらい、手を取り合って喜び合う日がくるだろう。これもまた、再会と言う出会いなのである。理解させるのではなく、理解してもらうため、理解し合うための10年と言えるだろう。

 さて、支部設立からの苦労を知っている作者にとって、支部への思い入れは強い。そのため、前号で支部設立第1号と記しましたが間違いであることが判明しました。神奈川以前に支部設立に努力され支部を立ち上げた地域の方々にお詫び申し上げます。

 それでは最後に新たな歩みを続けるために作者の思いを込めた一文を記し、「風のごとく明日へ」を終了させていただきます。

 風が生まれた。一つの夢をかなえるために風は吹き始めた。同じ思いの者たちの心に背中を押すがごとく流れた。時には烈しく、時にはやさしく、風は吹き続ける。とどまることなく一つの方向を示すように流れ続ける。風はどこへ。夢を希望へと変え、希望が現実となる未来へ風は吹く。そして流れ続けている。その風を感じたなら、心の帆をあげろ。向かうは夢を希望と変える明日へ。希望が現実となる未来へ。