●第4話 神奈川支部設立総会(いよいよスタート!サァこれからだぁ)

 2回目の準備会終了後の反響は3人の想像以上のものとなった。網膜色素変性症(RP)が特定疾患と認定されたのと同時に開催されたこともあるが、患者だけではなく、県内の福祉行政担当者や保健所関係者からの問い合わせが3人の元に来るようになったのである。

 特に問い合わせ先として中村の会社の電話番号を記した資料を保健所などに配布したばかりでなく、新聞に設立準備会が記事として掲載され、その中に中村の会社の電話番号が記されていたからたまったものではなかった。新聞が配られた日から会社の電話は問い合わせで鳴りっぱなし、仕事どころではなかった。

 この反響の大きさが障害に関わることでなければ嬉しい誤算、嬉しい悲鳴などと表現されるだろう。しかし、嬉しいなどといってはいられない。RPによって悩み、不安な生活を送っている人たちがいる。3人は身を引き締める思いで支部設立へと急いだ。

パソコンで議案書を読み上げ
 茅ヶ崎の準備会から約1年。新たな仲間とともに神奈川県民ホール大会議室で設立総会が開催された。JRPS最初の支部が誕生する。そして神奈川支部の設立総会は今では伝説となった画期的な方法で行われたのである。

 それは議案書を音声合成ソフトを使ってパソコンに読み上げさせるというものだった。家庭にパソコンが普及してはいても視覚障害者が仕事以外で持つほど一般的ではない時代。ましてや音声で使用できることなど知らない者がほとんどだった頃である。

 音声ソフトとパソコンの説明の後、スピーカーから流れた音に会場内は大きなどよめきが起こったのである。総会終了後に行われた講演。でも、この手法に驚きとそのチャレンジ精神に驚嘆の言葉を投げかけてから本題に入る講師もいた。

 100名を越える参加者を得て、総会は無事に終了した。しかし、中村と二宮には一つの心のこりがあった。それは支部運営の中心となる役員の中に宮本の名を連ねることができなかったことである。

 他の役員とは違い、偶然の出会いから苦労を共にしてきた3人。それぞれの生活の苦労も十分すぎるほど理解し合っている仲だった。だからこそ、宮本の役員辞退の申し出に心ならずも承諾するしかなかったのである。

 役員紹介の際、中村と二宮は役員ではない宮本を今までの苦労にねぎらいと感謝の言葉をそえて、出席者に紹介したのである。宮本が人前でマイクを持ったのはこの日が最初で最後であった。しかし、その後の支部活動において、縁の下の力となって、雑用を引き受け働く宮本の姿があった。設立準備から設立総会へ。そしてその後の宮本の影の活動は役員の支えとなっていた。

 ならば、中村と二宮の思い、そしてこの物語の作者の意志により、支部役員としてではなく、支部運営のための神奈川支部チームが誕生したと、ここに書き記すことにしよう。

 神奈川に、新たな目的と夢をそしてそれを実現させるために生まれたJRPS神奈川支部チームメンバーを紹介する。

 宮本・中村・二宮・大窪・須貝・森田・小泉・内田、計8名である。
 チームリーダー(支部長)を中村としてスタート。10年の歩みの中、それぞれの事情もあり、中心メンバーを退く者もいたがそれは、新たな風を吹き込む新旧交代とも言える。中村もまた、リーダーを大窪に譲り、後を任せたのは設立から5年後のことであった。